エッセイ[新]白湯を嗜む刻,ツウ。(新さゆをたしなむとき,ツウ。)第3話 #ワタナベミツテル46th生誕祭 『誕生日モブ(群衆)たちによるモッシュ(もみ合い)祝い。』

新年は、いつか明けている。

後ろを振り返ることはあまりしないのだが、前をしっかり見るために振り返ることはある。

12月という、お坊さんまでもが原チャリをフルスロットルで飛ばして参加する「師走」という名の息継ぎのないマラソン。

1月がここに来て、ひと時のために飾られた餅(もち)がひび割れ始める。そんな鏡餅(かがみもち)を消化していこうかしらという今日。

実は、1月8日は、内なるワタナベミツテルの誕生日だったのだ。

誰もが正月からのいきなりの仕事始めからの、平凡な日。学校なんかも3学期の始業式なんかが行われる。そんな日。

そう、1月8日はカレンダー上での平凡な日。

みんな仕事始めのメールに埋もれ、他人を祝うリソース(余地)なんて一ミリも残っていない。

でも、「祝ってもらいたい♡」。

ドキドキしながら僕は、SNSの戦場であるX(旧Twitter)でそっと狼煙(のろし)を上げた。

「あの、本日、誕生日になりました。」

するとどうだろう。日常の荒波に揉まれていたはずの民(たみ)真夜中のワインディングロード(曲がりくねった道)で迷い続けていた民(たみ)モブ(群衆)となり、僕をモッシュ(もみ合い)しながら僕を祝ってくれた。

いいねの総数124という数字が付いた。

正直、SNSなんてロクなもんじゃないと思っていた時期もある。けれど、このモブ(群衆)たちのモッシュ(もみ合い)祝いで、僕の胸を温かくしてくれて、シアワセを感じられた。

そこには、確かに温かさがある。
なぜなら、指先でボタンを押しているのは、僕と同じように今を必死に生きてる「人」だからだ。

ネットの向こう側にいるのは、ただのアイコンじゃない。

温かい血の通った、誰かの指先なのだ。

現実の僕の前には、自己申告で「明日、オレの誕生日」と告げていた母から、なぜか誇らしげに貰ったピザがある。

そうして1月8日の「内(うち)祝い」。

それから、昨日一昨日で成人式がやってきている。

晴れ着姿の若者たちが放つ「これからの暴走」をニュースで見届けた途端、きょうの朝がやってきて、世の中は手のひらを返したように「はい、日常に帰りなさい」と強制送還なのだ。

「おめでとう」という言葉が、世界から賞味期限切れで消えていく。

でも、僕は茶色の湯飲みを握りしめたまま124個も集まったいいねの画面を眺めてはニタニタしている。

【本日のおすすめ曲】 くるり / 琥珀色の街、上海蟹の朝

街の冷たさと、その裏側にある人恋しさ。124個の指から放たれたいいねを振り返りながらで白湯(さゆ)をすすれば、46歳の朝は、案外悪くない琥珀色(こはくいろ)に染まる。

つづく

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