新年は、いつか明けている。
後ろを振り返ることはあまりしないのだが、前をしっかり見るために振り返ることはある。
12月という、お坊さんまでもが原チャリをフルスロットルで飛ばして参加する「師走」という名の息継ぎのないマラソン。
1月がここに来て、ひと時のために飾られた餅(もち)がひび割れ始める。そんな鏡餅(かがみもち)を消化していこうかしらという今日。
実は、1月8日は、内なるワタナベミツテルの誕生日だったのだ。
誰もが正月からのいきなりの仕事始めからの、平凡な日。学校なんかも3学期の始業式なんかが行われる。そんな日。
そう、1月8日はカレンダー上での平凡な日。
みんな仕事始めのメールに埋もれ、他人を祝うリソース(余地)なんて一ミリも残っていない。
でも、「祝ってもらいたい♡」。
ドキドキしながら僕は、SNSの戦場であるX(旧Twitter)でそっと狼煙(のろし)を上げた。
「あの、本日、誕生日になりました。」
するとどうだろう。日常の荒波に揉まれていたはずの民(たみ)や真夜中のワインディングロード(曲がりくねった道)で迷い続けていた民(たみ)がモブ(群衆)となり、僕をモッシュ(もみ合い)しながら僕を祝ってくれた。
いいねの総数124という数字が付いた。
正直、SNSなんてロクなもんじゃないと思っていた時期もある。けれど、このモブ(群衆)たちのモッシュ(もみ合い)祝いで、僕の胸を温かくしてくれて、シアワセを感じられた。
そこには、確かに温かさがある。
なぜなら、指先でボタンを押しているのは、僕と同じように今を必死に生きてる「人」だからだ。
ネットの向こう側にいるのは、ただのアイコンじゃない。
温かい血の通った、誰かの指先なのだ。
現実の僕の前には、自己申告で「明日、オレの誕生日」と告げていた母から、なぜか誇らしげに貰ったピザがある。
そうして1月8日の「内(うち)祝い」。
それから、昨日一昨日で成人式がやってきている。
晴れ着姿の若者たちが放つ「これからの暴走」をニュースで見届けた途端、きょうの朝がやってきて、世の中は手のひらを返したように「はい、日常に帰りなさい」と強制送還なのだ。
「おめでとう」という言葉が、世界から賞味期限切れで消えていく。
でも、僕は茶色の湯飲みを握りしめたまま124個も集まったいいねの画面を眺めてはニタニタしている。
【本日のおすすめ曲】 くるり / 琥珀色の街、上海蟹の朝
街の冷たさと、その裏側にある人恋しさ。124個の指から放たれたいいねを振り返りながらで白湯(さゆ)をすすれば、46歳の朝は、案外悪くない琥珀色(こはくいろ)に染まる。
つづく

