第2回では、ナタデココのリバイバルから「食感」と「エモ消費」という現代のキーワードを読み解いた。今回は、私たちの視覚と自己表現の世界に目を向けたい。テーマは、平成カルチャーの発信源であり、数々の伝説を生んだ街、「原宿」だ。
竹下通りを埋め尽くしたシノラー、お茶会に集うロリータ少女たち、雑誌『FRUiTS』に切り取られた奇抜なスタイルの若者たち。平成の原宿は、誰にも真似できない「好き」を全身で表現する者たちの聖地だった。
しかし、ファストファッションの台頭やインバウンド向け店舗の増加により、かつての混沌としたエネルギーは影を潜めたように見える。「原宿は終わった」──そんな声も聞こえて久しい。
だが、本当にそうだろうか。我々は断言する。原宿系ファッションは決して絶えていない。その姿を水のように変え、世界中に拡散し、新たな「Kawaii」を生み出しながら、その遺伝子は絶えず生き続けているのだ。
平成の原宿を彩った「好き」の武装
現代における影響を語る前に、平成の原宿がどれほど独創的だったかを振り返りたい。
シノラー (90年代後半) : 篠原ともえをファッションリーダーとする、デコラティブファッションの原点。デコラティブ=装飾的。お団子ヘアに、ガチャガチャのおもちゃやアクセサリーをじゃら付けし、「カワイイ」は自分で作るものだと証明した。「DIY精神」と「過剰な装飾性」は、ここから始まったと言える。
ロリータ (00年代) : フリルやレースで飾られた、中世ヨーロッパ貴族のようなスタイル。それは単なる服装ではなく、独自の美学とコミュニティに支えられた一種の生き方(サブカルチャー)だった。細部まで徹底的に作り込まれた世界観は、現代の「推し活」における概念コーデにも通じる。
『FRUiTS』に代表されるストリートスナップ (90年代〜00年代) : 特定のジャンルに縛られず、古着や手作りアイテムを自由に組み合わせるスタイル。「ルール無用のレイヤード」と「ジェンダーレスな着こなし」は、世界のハイブランドにまで影響を与えた。
これらのスタイルは、他人の評価を気にせず、自らの「好き」という感情を武装するかのように身にまとう、強烈な自己表現だったのだ。
遺伝子の継承者たち① : K-POPと再構築された「HARAJUKU」
では、その遺伝子はどこへ向かったのか。最も大きな継承者の一つが、グローバルなトレンド発信地となったK-POPの世界だ。
特に、NewJeansに代表されるニュートロ(New+Retro)スタイルのアイドルたちは、平成の原宿ファッションを巧みにサンプリング(抜き出し編集)している。
・アームウォーマーやルーズソックス (Y2K・ギャル)
・カラフルなプラスチックアクセサリー (シノラー)
・制服風アイテムの着崩し (女子高生カルチャー)
・予測不能なレイヤード (FRUiTS)
彼女たちは、かつての原宿にあった「カオス(無秩序)な魅力」を、より洗練されたスタイリングへと“再構築”してみせた。かつて東京のローカルな若者文化だったものが、K-POPというフィルターを通して、世界中の誰もが憧れる「HARAJUKU」という名の記号的スタイルへと昇華されたのである。
遺伝子の継承者たち② : SNSと「自分だけのKawaii」
もう一つの継承者は、SNS、特にTikTokやInstagramだ。
かつて『FRUiTS』が担っていた役割は、今や個人のアカウントに分散された。特定のジャンルに属すのではなく、「#y2kファッション」「#バレエコア」「#グランジ」といった無数のハッシュタグを横断しながら、人々は自分だけのスタイルを構築する。
そこに、かつてのような「ロリータ族」「デコラ族」といった強固な“族”の意識はない。ある日はY2K、次の日はゴスロリ風、とその日の気分でスタイルをスイッチする。
しかし、その根底には、平成原宿から受け継いだDIY精神が息づいている。フリルのブラウスにジャージを合わせる、推しの概念カラーでアクセサリーを手作りする。かつてのスタイルは「パーツ」として分解され、自分だけの「Kawaii」を表現するための巨大なライブラリとなっているのだ。
原宿は「場所」から「概念」へ
平成の原宿ファッションは、決して消え去ったわけではない。それは「アトム化(原子化)」し、そのDNAが世界中に拡散したのだ。
過剰なまでの装飾性、ルールに縛られない自由な着こなし、そして「好き」を貫くDIY精神。
これらの魂は、K-POPのMVや、Z世代のTikTok動画の中に、形を変えて確かに生き続けている。原宿はもはや、東京の一区画を示す「場所」の名前ではない。時代や国境を超えて、自分だけの「Kawaii」を追求するすべての人の心の中に存在する「概念」となったのだ。
デコラティブの進化は、これからも絶えることなく続いていく。
(第4回へつづく)