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エッセイ[新]白湯を嗜む刻,ツウ。(新さゆをたしなむとき,ツウ。)第6話 人生最初のメンターへ、『わすれないからね。』

2026 3/08
エッセイ 新さゆ2
2026-03-08
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3月。窓の外から微かに届く春の気配は、いつもより少しだけ白湯(さゆ)を優しく喉の奥へと滑り込ませる。

春は別れの季節であり、出会いの季節。

言うなれば、人間関係の新陳代謝(しんちんたいしゃ)の季節である。

この時期の風の匂いを嗅ぐと、ふと、ある情景が鮮明に蘇ってくる。

僕が予備校を卒業し、晴れて大学生になったばかりの19歳の頃。およそ2年間、僕はカレーのココイチでアルバイトをしていた。

大学の授業を終えると、愛車の50ccのモンキーに跨(またが)り、風を切ってバイト先へと向かう。いつも、髪の毛も服も、自分のすべてからカレーの匂いしかしなかったのは覚えている。

厨房の裏口にその小さなバイクを駐輪し、扉を開ける時、僕の胸の内はいつも「ただいま」という高揚感で満たされていた。これから労働が始まるというのに、その扉の向こう側へ飛び込むのが、たまらなくワクワクしたのだ。

誤解のないように言っておくが、そこは決して「馴れ合いの楽しいサークル」のような場所ではなかった。むしろ、ある種の過酷な戦場だった。

店の真裏には大きなパチンコ屋さんがあり、夜23時のパチンコ屋さんの閉店を迎えると、お客様たちが一斉に雪崩れ込んでくる。

23時から店舗の営業終了の24時までの1時間は、まさに怒涛の満席状態(ピーク)。

飛び交うオーダーの嵐の中で、体力は限界に近づきながらも、僕らは常にプロとしての「笑顔」を強いられた。

それでも、僕はその場所で働くことが楽しくて仕方なかった。

なぜなら、僕はそこで教わることのすべてが、間違いなく自分の将来のためになると本気で信じていたからだ。

大学のキャンパスで受ける授業が「座学」であるならば、油とスパイスの匂いが染み付いたこの厨房での経験は、紛れもない「実践」だった。

だからこそ、僕は乾いたスポンジのようにすべてを吸収しようと必死だった。

そして、そんな僕の「実践の教室」の中心で、いつも僕らを束ねていたのが、店の責任者だった「仁村さん」だ。

当時の仁村さんは27歳。19歳の僕から見れば、手が届かないほど完成された、圧倒的な「大人」だった。俳優の仲村トオルによく似た精悍(せいかん)な顔立ちで、少し影のあるカッコいい人。

僕はタバコ屋の孫だったこともあり、タバコを最初に選んだのは、少し背伸びをしたラッキーストライク。

バイト先のすぐ近くにコンビニエンスがあり、休憩中に僕がそこへ向かう素振りを見せると、仁村さんは決まって「クールのボックス」と短く言い、280円を渡してきた。

仁村さんは、仕事に対しては一切の妥協を許さず、とにかく厳しかった。でも、若さゆえの青さを持っていた僕を絶対にあきらめず、根気よく指導してくれた。

いつもカレーの匂いが充満するバックヤードで、僕のラッキーストライクと彼のKOOLのメンソールの煙が混ざり合う。

彼は僕を弟のように可愛がってくれ、僕もまた、彼を本当の兄のように慕(した)っていた。

僕の人生で一番最初に出会った、本当の意味での「年上のメンター」だった。

張り詰めた戦場を離れたオフの時間も、僕にとっては大人になるための特別なモラトリアムな時間の一部だった。

夜12時の営業終了後。その日のシフトに入っていたメンバーだけでなく、わざわざ非番のメンバーまで合流して向かう、深夜1時から3時までの「つぼ八」での飲み会。

夏にはみんなで海沿いまで車を走らせてバーベキューをした。

そして何より記憶に焼き付いているのは、仁村さんが単身で借りていた、少しカビの匂いがするボロい一軒家での風景だ。

そこにお邪魔して、14型の小さなブラウン管テレビの前に肩を並べて座り、レゲエの神様、ボブ・マーリーのVHSビデオを、ただただ永遠と流しながら語らいでいた。

KOOLの煙が揺れる部屋で響く、レゲエのゆるやかなリズム。それが、僕の青春の最も純度の高い1ページだった。

しかし、人間関係の新陳代謝の季節は、必ずやってくる。

仁村さんが、店を去る日が来た。

カラオケボックスで開かれた、最後のお別れ会。

薄暗い部屋の中で、僕らは初めて、彼がずっと胸の奥に抱えていた本当の思いを知ることになる。

彼は、職場の他の人間関係で深く悩み、傷ついていた。

それでも、「いつか、自分がこの仕事で一人前になり、誰からも文句を言われないくらい『仕事ができるようになってから』この仕事を辞めよう」と、固く決意していたのだ。

その不器用なほど誠実な決意を見事に貫き通し、ついにその日を迎えたということを、静かに僕らに告げた。

大学の座学では決して学べない、血の通った「実践」の最終講義がそこにはあった。

それを聞いた19歳の僕は、感情の堤防が決壊するのを止められなかった。

涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、僕はマイクを握りしめ、みんなの前で叫ぶように言った。
「仁村さんが、辞めなきゃいいのに!!」

周りの大人たちは慌てて僕を制止した。

「仁村さんが今まで時間をかけて、ずっと苦しんで、やっと決断したことなんだから」と。

自分でも、なんてガキっぽくて余計なお世話な言葉だろうと思った。

僕にもこれからの人生があったように、仁村さんにも、仁村さんの人生の続きがあったのだ。

彼の決意の重さを前にして、僕のワガママはあまりにも幼かった。

でも、どうしても伝えたかった。彼がいなくなることが、ただただ寂しかった。

だから今でも、あの青臭い言葉を「言えて良かった」と、心の底から思っている。

だからこそ、僕は今の若い世代に強く伝えたい。

『学生よ、大人になる前のモラトリアムの期間は、バイトせよ。』

そこには、学校の教室では決して出会えない斜め上の大人がいる。理不尽な現実も、逃げ出したくなるような厳しさも、そして、一生の宝物になるような深い愛情も転がっている。そこで流した汗と涙、大人たちから教わった「実践」のすべては、必ず君たちの人生の血肉になるはずだ。

あのカラオケボックスの夜から、ずいぶんと時間が経った。

タバコ屋の孫として二十歳でラッキーストライクからタバコを覚えた僕も、今はMr.仁村に敬意を払って、KOOLのボックスを嗜んでいる。

深くメンソールの煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出すたびに、当時の自分のすべてから香っていたカレーの匂いと、彼の不器用で誠実な生き様が、今も僕の中に確かに息づいているのを感じるのだ。

今朝の締めくくりの1曲は、あのボロい一軒家の16型テレビから、いつも流れていたこの曲を。

これから別々の道を歩む当時の僕たちへ、そして、これからたくさんの出会いと別れを経験する若者たちへ。それを懐かしく思う大人たちへ。

心配ないさ、すべてうまくいくから。

Bob Marley & The Wailers – Three Little Birds

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