散歩中の犬。
可愛いと思うと同時に、いつも考えることがある。
私もあの犬になりたい。
昔、私は貝になりたい、という映画があったことを思い出した。
そんなことは今はいい。
犬の何が羨ましいかというと、いくつかある。
散歩に連れて行ってもらえる。
それ自体、羨ましい。
そして散歩に行った先で飼い主以外の知らない人の目に触れて、可愛い可愛いと言われる。
家に帰れば、雨風をしのげるきれいな部屋で水や餌が不足なく提供される。
また、トイレに自分で行かなくても、トイレの世話もしてもらえる。
ざっとこんな感じである。
実に羨ましい。
身の回りの世話を全部してもらって、 挙げ句可愛い可愛いと愛でられる。
そんな人生素晴らしいのではないか。
こういった理由で、私はいつも散歩中の犬を見るたびに羨ましいなと思う。
エサを出してもらい、トイレの世話をしてもらい、快適な寝床があり、可愛いと存在そのものを肯定される。
人間に当てはめて考えてみる。
こんな幸せな人生、ないのではないか?
人によって幸せの尺度は違うが、私にとってこれは幸せに値するものである。
話は変わるが、ある日彼氏の家の犬が逃げ出した。
結局、犬は見つかったので良かったという話をしながら、それでも私は犬が羨ましいと彼氏に言った。
「いつも可愛がられてるのにそれでも外に出たくなっちゃったんだね。
今回は見つかったけど、事故に遭わなくてよかったね。」
すると、彼は私にこう言った。
「自由には責任が伴うよ」 ああ、そうだなと思った。
犬は逃げ出しても、飼い主の手によって元の場所に戻される。
限られた場所でしか生きることを許されない。
衣食住の保証がある心地よい環境と引き換えに本当の自由を失ったとも言える。
自由には責任が伴う。頭の中でその言葉を反芻する。 難しい。自由とは何なのか。
本当の自由を手に入れるために、全ての責任を自分で背負うのか。
それとも、それができないから、条件付きの自由で我慢するのか。
答えは出ていない。
散歩中の犬を見ながら、羨ましさだけではなく本当の自由とは何かを考えさせられる
この記事を書いた人
くったりベア
会社員をしながら、日々思ったことを書きます。犬になりたい
くったりベアさんはX(旧Twitter)とnote.comにも参加されています。
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