エッセイ『パスタと共に去り行く。』第9話 2025年全国民がみた!夏の2万円蜃気楼(しんきろう)。副業する余裕があるなら、僕は笠(かさ)を編む。

冬も深まり、夜がしんしんと冷えてくると、ふと思うことがある。

昔話の『笠地蔵(かさじぞう)』に出てくる、あの心優しい「じさま」と「ばさま」は、実は自分のご先祖様だったのではないだろうか。

2025年、日本の経済は荒れに荒れている。 もし本当に笠地蔵(かさじぞう)が令和(れいわ)の街角に立っているのなら、私は今すぐ副業として笠を編み、彼らに被せて回りたい

そして、わらしべ長者の如き大金を手に入れて、心穏やかな新年を迎えたい……そんな妄想を抱くほど、現代を生きる私たちの心は細りきっている。

ここで誰かを批判したり、政治的な皮肉をぶつけたりしたいわけではない。

これはあくまで私個人の、あまりに淡く、そして虚しく消えた「期待」についての独白だ。

今年の6月より前のこと。ニュースが流れるたびに、私は胸を躍らせていた。

暮らしが2万円分助かる、政府公認の日本銀行券が配られるらしい」 その一報は、物価高という荒波に揉まれる私の家計に差し込んだ、一筋の後光のようだった。


だが、現実は残酷だ。あの話がどこかへ消え去ってしまったように、経済の冷え込みだけが加速していく。

あの夏から半年間、私は「しょうがない」と自分に言い聞かせながら生活を切り詰めてきた。

食べ物のおかずを一つ減らし、電気をこまめに消し、いくつかの外食を封印した。

しかし、欲望という名の残り火は、そう簡単には消えない。 私の指は、今日も無意識にAmazonの『カートに入れる』ボタンを押してしまう。

Amazonには今でもなお、あの「2万円」で救出されるはずだった、迷える子羊たちが並んでいる。

私はそれら迷える子羊たちカートの中で最低2ヶ月は放置し、吟味(熟成)させては、静かにあとで買うボタンを押す

もはやこれは現代の修行僧、あるいは「2万円蜃気楼(しんきろう)」に憑りつかれた者の奇行といってもいい。

この修行は、スーパーのパスタ売り場でも続く。

視線の先にあるのは、名古屋の至宝『ヨコイのあんかけスパゲッティ』だ。 あのスパイシーな誘惑。

だが、隣に並ぶ格安のPB商品と見比べ、私はそっと溜息(ためいき)をつく。

「あの2万円さえあれば、ヨコイをまとめ買いして、赤ウインナーを山ほどトッピングできたのにな……」

結局、買い物カゴに入れたのは一番安い乾麺の束

今夜も茹で上がる湯気の向こうに、私は届かなかった二枚の諭吉(あるいは渋沢)の姿を見る。


これを「2万円蜃気楼(しんきろう)」と僕は名付けた。

そして、エッセイの第9話のタイトルにしたのだが、この蜃気楼を見ている間だけは、私の心は少しだけ温かいのだ。 アルデンテの麺を噛み締めながら、私は明日もまた、無料の夢を見続けることにする。

つづく

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