【短期集中連載エッセイ】Y2Kヤング、カムバックス ①ルーズソックス

「2000年代の若者」。その言葉の響きを聞いて、あなたはどんなイメージを抱くだろうか?

キラキラした憧れの世代? それとも、ちょっぴり痛々しい、流行に全力で乗っかっていた迷走集団?

残念ながら、そのどちらも、そしてそのどちらでもない、僕たちのことだ。

改めまして、1980年生まれ。青春のド真ん中が、まさにあの世紀末から新世紀にかけての、騒がしい「Y2K」だったワタナベミツテルです。

世間はコンピュータの2000年問題に怯え、「地球滅亡か!?」なんて本気とも冗談ともつかないカウントダウンがテレビを賑わせていたけれど、正直、僕らの関心は別なところにあった。

ケータイの電波、ルーズソックスのたるみ、着メロの完成度、そして次にどこでプリクラを撮るか──そんな、今思えばあまりに小さくて、でも僕らにとっては世界の全てだったリアルに必死だったんだ。

それが今、だ。街を歩けば「Y2Kファッション」? 当時の流行がリバイバル? へそ出しトップスにカーゴパンツ、厚底ブーツを履いた若い子たちを見るたびに、心の中で叫びそうになる。

「いや、違う! 本物はもっとこうだ!」と。かつて「2000年代の若者」と呼ばれた(であろう)僕らが、まさか自分たちの時代がトレンドとして「カムバック」するなんて、一体誰が想像しただろう?

これは、そんな時代を体当たりで駆け抜けた「Y2Kヤング」が、沈黙を破って立ち上がる、短期集中の緊急レポートである。

単なる懐古趣味じゃない。

アナログの残り香とデジタルの波に揉まれ、流行の荒波に翻弄されつつも、たしかに熱く、そして面白く輝いていた、あの頃の「真実」を、赤裸々に曝け出そうと思う。

さあ、タイムトンネルの向こう側へ。

レディ・ゴー。

1990年代後半から2000年代を生きた女子高生にとって、ルーズソックスは単なる靴下ではありませんでした。

それ(ルーズソックス)は、自分たちのアイデンティティ(自分らしさの象徴)であり、友情の証であり、そして時には親や先生や社会との静かなる戦いの象徴でもありました。

あの頃、女子たちがルーズソックスにかけた情熱と労力は、いま思い返してもすごいものだと思えるほどです。

【ルーズソックスに込めた青春】
まず、ルーズソックスを履く、という行為そのものが、ある種の儀式でした。

女子(ギャル)曰く、『ただ足を通せばいいわけじゃないの。くるぶしの上にいかに自然な「クシュクシュ感」を出すか。これに全力をかけてんのよ。』

放課後の教室の机で、勉強していた僕のとなりで、女子がルーズソックスを下校の際にいかに可愛く履くかのために、調整していたので、いまでもその必死な光景を覚えています。

まず、靴下を膝上まで(製品によっては太ももの真ん中あたりまで!)めいいっぱい引き上げます。
そして、そこから足首に向かって、生地を丁寧に、愛情を込めて、でも大胆に「落としていく」。

この「落とし加減」が重要なようで何度も何度も、ソックタッチと呼ばれる糊(のり)で付けては違うを繰り返すギャルたち。

理想的な空気を含んだたるみを作るために、格闘していました。

当時のルーズソックスは、本当に生地の量が多かった。まるで足に毛布を巻き付けているかのように。

真夏でも、あの分厚いソックスを履いていました。

その日に体育の授業のある日なんて、チョベリバ(最悪)。もう、蒸れてしょうがないんでしょ。

当時の女子たちは、お洒落は努力、お洒落は我慢の世界線でした。

雨の日の水たまりは、敵。

ルーズソックスに、泥水が付いたら、チョベリブ(とても、ブルー)、テンション下げ下げ。

家に帰ったら即、漂白剤との戦い

ちょっと良いブランドのルーズソックスはお値段バリ高

お小遣いやバイト代を必死に貯めてルーズソックス代に充てていたり。

いま、SNSなどでルーズソックスを履いている若い女の子をみると、お母さんに「クシュクシュ感の出し方教わったのか?」という可愛い履き方をしているので、その姿を否定することもできません

いまでも、思い出します。

「ねえ、ワタナベくん。工作用のノリ持ってない?できれば、ヤマトのスティックのり。」

ソックタッチは、ヤマトのスティックのりで代用できたようです。

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