大人の仲間入りをして四半世紀が経つ。
いま、Y2Kというファッションやカルチャーやデジタルツールに若者たちが注目をしつつ、そのファッションに憧れを抱き、自分たちの文化に取り入れようとしている姿に、僕は否定の否の意を投じない。
ただ、思い出すいろいろがあるから、これをエッセイにして伝えなきゃ、エッホエッホと今日もこの記事を書く。
いま、Y2Kという時代を振り返るのならば、世界中に遊べるオモチャがたくさん置いてあったんだと思う。
ルーズソックス、ポケベルと、僕たちの青春を彩ったアイテムを振り返ってきたのだが、今回は忘れてはいけない、いや忘れられない強烈な存在に光を当ててみる。
そう、ゲームセンターの一角に鎮座していた、あの魔法の箱「プリクラ」。
今の若い子たちにとってはプリクラは当たり前にあるものらしいが、僕たちが体験したY2Kど真ん中のプリクラは、またちょっと違う熱気と意味と存在だった。
あの頃、街の大型ゲームセンターといえば、男子にとっては「輝かしい光景」。
バーチャファイター2の筐体(きょうたい)が年十台も並び、対戦台の周りには人だかり。デイトナUSAみたいな体感レースゲームからは爆音が響き渡り、UFOキャッチャーがやたら上手な友達がいたりして、とにかくそこに行けば確実に楽しめた。
そんな男子たちの熱気が渦巻くフロアの奥、あるいは一角に、女子たちの笑い声や話し声が一段と高く響くエリアがあった。
そこが、プリクラブースがひしめき合う「聖域」。
お目当ての機種の前には列ができていて、待っている間もみんなソワソワ、ワイワイ。
あの独特の明るさと賑わいは、プリクラブースならではの空気だった。
いざ、自分たちの順番が来てブースに入ると、そこは驚くほど狭い空間。

友達と肩を寄せ合い、ぎゅぎゅうになりながら画面に映る自分たちを見て「ヤバい!」「早くポーズを決めて!」なんて言い合う、あの密着感もプリクラの醍醐味だった。
短い撮影時間でポーズを決めカシャっとフラッシュを浴びる。写真がシールにプリントされる時間をドキドキしながら過ごす。
あの頃は、いまみたいに顔の輪郭まで補正できるような高性能な機能もなかったけど、それでも十分だった。
当時のプリクラのすごいところは、「盛る」という概念を僕たちに教えてくれたこと。
ブースの強い明るい光、そして当時の技術ゆえにそこまで高くない画像の解像度。その写真が最終的に小さなシールのサイズになることで、肌の細かいアラが目立たなくなったり、目がいつもより少しだけ大きく見えたり、全体的にふんわりと可愛らしい写りになったり。
そして、撮影が終わって出てくるシールシート。ガチャリという音とともに現れるそれを見る時のドキドキ感!「キャー!盛れてるー!」「あ、この写真サイテー(笑)」なんて一喜一憂しながら、みんなでシートを覗き込む。
このシールがまた、当時のコミュニケーションツールとして絶大な力を持っていた。
友達と撮ったプリクラは、その場でハサミを取り出してチョキチョキと切り分け、お互いに交換するのがお約束。ただ、男子としては、女子と二人で撮った時なんかは、だいたい4枚くらいを渡してくれて、残りは全部、彼女たちの「プリ帳(プリクラ帳)」行きだった。
そう、女子たちにとって「プリ帳」は単なるアルバムではなかった。それは、友達との思い出、学校行事、休日の出来事、そして何より自分たちの「盛れた」姿を記録し、可愛くデコレーションして見せ合う、大切な大切な宝物。ノートいっぱいに貼られたプリクラは、キラキラした青春の1ページそのもの。
プリクラは、単に写真を撮る場所じゃなかった。
友達と一緒に笑って、悩んで、工夫して、出来上がりに騒いで、交換して、手帳に貼って…。
あの狭い空間に、当時の若者たちの友情や流行、そして何より「楽しい!」という気持ちがギュッと詰まっていた。
Y2Kヤングにとって、プリクラで撮った一枚一枚のシールは、紛れもない青春の証。
今見返すと少し粗い画像かもしれないけれど、そこにはあの頃の輝かしい時間と、かけがえのない友達の笑顔が焼き付けられている。
ああ、またあの頃みたいに、友達とぎゅうぎゅうになってプリクラ撮りに行きたいなぁ。
そう思わせてくれるプリクラこそ、Y2Kカルチャーを語る上で、絶対に欠かせない存在だ。