【短期集中連載エッセイ】Y2Kヤング、カムバックス ⑤渋谷系

現在お届けしている「Y2Kヤング、カムバックス」シリーズ。2000年代初頭(Y2K)という時代をフカボリする中で、今回は少し視点を変える。

あのY2Kカルチャーが生まれる土壌を作り、密かに、しかし確かに影響を与えた文化的な「現象」=「渋谷系」に光を当てる。

それは、特定のサウンドだけじゃない。情報の得方、感性の磨き方、そして音楽やモノとの関わり方すべてを含んだ、独特のムーブメントだった。

そう、90年代半ばを最盛期としながらも、その精神が確かに2000年代へと突破していった、あの「渋谷系」という現象だ。

僕自身、この渋谷系という現象のど真ん中で青春を過ごした人間。

今回の記事では、当時の僕たちがどのように「渋谷系」という「オシャレ」を取り込み、知識とセンスとして吸収していったのか。

そして、それがどうY2Kへと繋がっていくのか、皆さんの記憶も刺激しながら追体験する。

あの頃、僕たちの「オシャレ」はどこにあった? ~「なんかいい感じ」の断片~

今のように、スマホ一つで世界中のトレンド情報が手に入る時代ではなかった。特に、メインストリームから少し外れた、感度の高い「オシャレ」な情報は、とても貴重だった。

僕たちが渋谷系音楽を知るきっかけは限られた情報源から発信される断片だった。数少ない音楽雑誌の小さなレビュー。深夜のラジオ番組から偶然流れてきた、耳慣れないおしゃれな音楽。友達からの又聞きや、「あの店でかかってる曲、いい感じなんだよね」という曖昧な情報

そこから伝わってくるのは、明確なジャンル名や、万人が知るヒット曲ではない。「なんかいい感じ」「ちょっと他と違う」「おしゃれっぽいらしい」…そんな、輪郭のぼやけた、掴みどころのない「感覚」としての情報だった。

でも、その曖昧な「なんかいい感じ」こそが、僕たちの探求心を掻き立てる強烈な引力だったのだ。

「憧れの地」渋谷へ ~情報量と物量のるつぼでセンスは磨かれる~

その「なんかいい感じ」の正体を知りたくて、僕たちが吸い寄せられるように向かった場所。それが「渋谷」だ

当時の渋谷は、僕たちにとって、まさに「憧れの地」最先端のファッション、アート、そしてもちろん音楽のすべてが凝縮された、特別な場所だった。

渋谷に着くと、街全体の空気が違う。行き交う人々の服装ショップから漏れ聞こえるBGM洗練されたカフェの雰囲気…。そのすべてが、断片的に掴んでいた「なんかいい感じ」を視覚化し、増幅させてくれる

そして、僕たちが最も長い時間を過ごしたのが、パルコ周辺のショップや、圧倒的な存在感を放っていた大型レコードショップ、タワーレコードやHMVだ。

そこは、先ほどまで頼りにしていた「少ない情報」が嘘のような、情報量と物量がハンパない、文字通りの「るつぼ」だった。国内外のありとあらゆるジャンルのCDやレコードがひしめき合い、雑誌やフリーペーパーが溢れ、試聴機からは様々な音が洪水のように流れてくる。

僕たちは、この情報と物量のるつぼに「入り浸る」ことで、自らの感性を貪欲に磨いた棚を眺め、ジャケットを見て、試聴する。耳だけじゃなく、目でも、肌でも、体全体で「良い」と感じるものを探し出す。流行を追いかけるのではなく、自分の「好き」の解像度を上げていく作業。

この、圧倒的な情報シャワーを浴びながら、自分のアンテナだけを頼りに「なんかいい感じ」を手繰り寄せる体験そのものが、「渋谷系的オシャレ」という現象の核だった。それは、知識として学ぶのではない、感覚として、身体で覚えていく「センスの磨き方」だったのだ。

探し当てた「カケラ」と、一枚のCDに宿る全て

「るつぼ」の中で五感を研ぎ澄ませ、ついに探し当てた「これだ!」という一枚。それは、単なる音楽ソフトではない。憧れの地・渋谷で、自分の磨いたセンスを使って選び抜いた、まさに「渋谷的オシャレ」のカケラそのものだ。

情報が限られていた当時、僕たちが手に入れられるCDの枚数には限りがあった。だからこそ、一枚一枚がとても貴重だった。そして、手に入れたその「単体としてのCD」を、僕たちは文字通り、擦り切れるほど何度も何度もリスニングした。

ジャケットの隅々まで眺め、ブックレットを熟読する。音の一つ一つに耳を澄ませ、歌詞を噛み締める。繰り返し聴くたびに、新しい発見があり、音が自分の内側に染み込んでいく。それは、ただ音楽を消費するのではない、その一枚のCDに込められたアーティストの世界観、デザイン、哲学のすべてを、全身で「摂取」する儀式だった。

電車の中で、買ったばかりのCDのシュリンクをそっと剥がす「開封の儀」も、この摂取の始まりを告げる、心躍る大切なプロセスだったな。

限られた情報源と、憧れの地での探求、そして手に入れた一枚のCDを徹底的に聴き込むことで得られる深い理解と満足感。この能動的で、身体的な「摂取の仕方」そのものが、「渋谷系」という文化的な現象を形作っていたと言えるだろう。

渋谷系ブームからY2Kへの「突破」 ~受け継がれた感性~

90年代半ばに一つのピークを迎えた「渋谷系」という現象は、そこで終わらなかった。憧れの地での体験を通じて培われた、あの独特の「センス」、情報過多ではない時代に一枚の音楽を深く愛した経験、そしてジャンルや既成概念に囚われない自由な精神は、その後の世代に受け継がれ形を変えながらも2000年代へと確かに「突破」していったのだ。

Y2K時代の多様な文化の根底には、渋谷系が切り拓いた「オシャレ」の感性や、自ら情報を選び取り、深く味わうという文化的な姿勢が息づいていると言える。それは、今のSNS時代における「キュレーション」や「推し活」とも、どこか通じる部分があるのかもしれない

あの頃の「探し物」は何だった?

「渋谷系的オシャレ」という現象は、情報が限られていた時代だからこそ生まれ、特定の場所で、特定のメディアとの関わりを通じて、深く追求された文化的な体験だった。

憧れの地・渋谷での探求、ジャケットに宿る魅力、そして一枚のCDを擦り切れるほど聴き込んだ時間…。それらは、今の時代では得難い、だからこそ輝きを増す、僕たちの貴重な財産だ。

この記事を読んで、あの頃の情景が蘇った人もいるだろう。初めて渋谷系という言葉に触れた人もいるかもしれない。もし「なんかいい感じ」と心が動いたら…

ぜひ、あなたの直感を信じて、「あなたの宝物」を探しに行ってみてほしい。それは渋谷系のCDかもしれないし、全く別の何かかもしれない。でもきっと、その探求のプロセスそのものが、あなたの日常をより豊かにしてくれるはずだ。

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