4時間超えの熱戦も引き分け!両先発好投!巨人立岡約2年ぶりスタメン&中日田中幹也プロ初HR【巨人×中日】
僕が野球の試合を応援しようとして、ラジオ聴いたり、中継を観たりするのは気まぐれなんだが、応援すると「勝ち男」でもなく「負け男」でもなく「アツい試合」となる。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 計 | |
巨人 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
中日 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
それは、確率的にはまぐれ要素もあり低いのだが、昨日の試合に限っては延長12回の1-1の引き分けで終了、好接戦(こうせっせん)だった。
ここから、僕の野球にまつわるエピソードトークが始まる。
あれは、忘れもしない1999年9月30日、名古屋の名城大学に在学していた僕は、大学内の風の噂で「今日の夜、名古屋ドーム(現バンテリンドーム)でモニター観戦で、中日戦が無料で応援できるみたいよ」と知った。
なんか、バイトもしていて羽振りも良かったし、ちょうどバイトが休みの日だったので、フラフラっとナゴヤドームへ観戦に行ったの。
応援グッズも何ももっていなかったので、中日ドラゴンズの野球帽をショップで買って参戦。当時はパブリックビューイングという言葉も日本にはなかったので、ナゴヤドームの大型スクリーンに神宮球場の模様が映し出されて、観戦していた。
となりに座っていたオジサンが、すごくいい人で、ビールの売り子が通りすぎようとしているときに「兄ちゃん、おまえどこから来たんよ?」と僕に声をかけてくれてくれて「半田市です。」と答えると「なんだ同じ知多半島じゃないか、俺は内海(うつみ)から来た」と意気投合して、ビールをおごってくれた。
7回表からの同点になった時点で、場内は中日ファンだけしか集まってないのでお祭り騒ぎ。
そして、いい気になって応援していた僕を地元テレビ局のカメラ中継が映してくれたみたいで、結果8回表に1点を追加し、9回の裏を押さえて優勝。
1988年以来11年ぶり5度目のリーグ制覇を決めた。星野仙一監督(52)は88年と合わせ、2度目の胴上げとなった。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
中日 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 1 | 1 | 0 | 5 |
ヤクルト | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 |
【中】山本昌、○岩瀬、落合、サムソン、S宣
【ヤ】川崎、●山本、河端、山部
<本>古田(ヤ)
一方、ワタナベ家では、根っからの中日ファンであるオヤジと9歳年の離れた弟が小さな14型のブラウン管テレビでその模様を観ていたらしく、弟が「いま、兄ちゃんが映ったよ」、オヤジ「バカかいるわけねだろ。あいつが。」という会話が繰り広げられていた。
優勝が決定してから、ナゴヤドームは地鳴りがするほどのフィーバーぶりで、帰るお客さんもいたので、電車で帰るので、オジサンと地下鉄の駅まで向かうと、オジサンは近くに行きつけの呑み屋さんがあったらしく、駅のところでお別れ。
帰宅して、中日ドラゴンズの帽子で現れた僕をみた弟が、「名古屋ドームにいたでしょ?テレビに映ってたよ。」と、オヤジも啞然(あぜん)とした表情だった。
あれから、内海のオジサンとは全く会えてないのだけど、「せめて、お名前だけでも」と聞いておけばよかった、いい想い出。