MENU
好きな言葉

乳母車に乗って酒場まで

We still love Cloudberry Jam,and forever! 僕たちのクラウドベリージャムは、永遠に輝き続けている。クラウドベリージャムの軌跡(前編)

クラウドベリージャム
スポンサーリンク


僕が中学3年生の時(1994年)に、日本のTrattoria レーベルから発売されたコンピレーションアルバム『The World Shines Brighetly〜Trattoria Calender O.S.T.~』の10曲目に収録されていたElevatorという曲によって彼女らの存在を知る。

このコンピレーションアルバムの構成がすごく中学3年生の僕にはお洒落な感覚を持っていて、何回も何回も聴いていたんだけど、Cloudberry Jamゆっくりとしたカントリーのようなロックのような、総じてギターポップと僕は思っているんど、このアルバムが発売された少し後に、カーディガンズの華やかな日本デビューも相まって、Swedenの音楽が日本にたくさん紹介されることになって、日本ではSwedish Popブームという旋風が巻き起こっていた

そして、僕が高校に上がると同時に、貯めたお小遣いで購入したCD WalkmanCloudberry Jamの日本盤1stアルバム『Cloudberry Jam』(Elavatorも収録)を学校に持ち込んで昼休みに聴いていたりした。


そして名古屋のZIP-FMでは日曜日午後の恒例番組ZIP HOT 100という番組(13時~17時)で(当時は小林克也さんがナビゲーター)、僕の大好きなElavatorが90位ぐらいから毎週、毎週チャートを駆け上がっていてついには何週目かで1位を獲得した。



そして、高校2年生に僕が上がる頃 (1996年)には日本盤2ndアルバム『雰囲気づくり』がかなりの好セールスを記録してゴールドディスクに選ばれた。

この頃から僕は、彼女らの来日ライブの名古屋公演にはすべて足を運ぶようになった。

そして、僕の学年が上がるに連れて、新しいアルバムが発売されていく。

日本盤3rd アルバムが『インポッシブル・シャッフル』。


そして、翌年の夏、名古屋の予備校に通っていた僕は、HMVのCD視聴コーナーで衝撃的なことを知る。

日本盤の4thアルバム(ベスト盤)『Time to move on』で解散を発表してしまったのだ。
理由は、「大好きなバンド活動がビジネスになってしまった。」というボーカルのジェニーの発言により、彼女は大学へ戻り研究に専念するという道を選んだ。


その後、メンバーに各々よるソロ活動クラウドベリージャムとしての再結成日本のCMに起用されてギネスブックに載るなど、再び僕らの手元に最高な楽曲を届けてくれるのだが、今回は前編ということで、次回の後編に続く。

初めましての方も、いつも来てくれる方もありがとうございます。

よかったらシェアしてね!