【エッセイ】白湯を嗜む刻(さゆをたしなむとき)。#7 『滾(たぎ)る』=ワタシは燃えている。【さゆとき】

最近、僕が滾(たぎ)ったことはなく、冬眠気味で、なんとか滾(たぎ)れるステージに入れないかなと、本を読み漁っていた。

そもそも、たぎるを意識したことなかったので、『滾(たぎ)る』を辞書やパソコンを駆使して調べた。

「たぎる」は、感情が高まり、溢れ出す状態を表す言葉です。主に熱意や情熱が強く湧き上がる様子を指します。また、文字通りに熱い液体が沸騰する様子を表すこともあります。この言葉は、人間の感情や状況を強く表現する際に用いられます。

あっ、オレ、この瞬間、滾(たぎ)ってたなというオモイデを振り返る。

モノゴトを見てもなく成す前から滾(たぎ)ることはあんまりなく、それはハッタリ、もしくは幻想に溺(おぼ)れているだけで、本当に滾(たぎ)ってる時って、モノゴトが進んで良い感じになって、次のビジョンが見えている時なのかなと僕は思う。

何かの仕事に就いて、最初はビビっているんだけど、生まれ持った自分の能力(無鉄砲でポーカーフェイス)に勢いついて、いろいろできてる時に、「オレ、滾(たぎ)ってたな」と思う。

僕が大学生の20歳のヤングだった頃、パソコン教室のインストラクターになったんだけど。テキストを全部覚えなきゃいけなかったんだけど、結構そのテキスト面白くて、漫画のように読み漁ったら、数日で読み終えて。

そこらあたりから、「オレ、キーボードの叩き方教えてメシ喰うんだみたいな」感じになってったのね。滾(たぎ)ってたな。
(世の中そんなに甘くなく、いろいろそのあと経験するんだけど。)

当時は自分でも滾(たぎ)れる職業だったし、誇りにも思ってたし、なんかスラスラ教え方が出てきたので、楽しかった。

でも、大学を卒業する辺りに、「オレ、もっと頑張りたい」って思ったし、「パソコンを教えるのって将来どうなるんだろう」って思ってその仕事を離れたんだけど、

いまでも、その青春時代は思い出す。会社で現役バリバリの人や年配の方にいろいろ教えてたな~って。

人生、滾(たぎ)れる仕事に遭遇することも、人によってあったりなかったりなんだけど、僕はいろいろ仕事が好きでいろいろ滾(たぎ)って頑張ってたなって思う。

もう、ワンチャン(1回)滾(たぎ)れるような人生をかけたお仕事やってみたいと思っているが、そのチャンスがどこに落ちているか探し続けている。

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